Episode 23 山田錦の誕生について
今回は山田錦の誕生についてお話していきます。
山田錦は1923年に山田穂と短稈渡船の交配によって兵庫県立農事試験場で生まれました。その後、系統選抜と原種の遺伝的固定を繰り返し、1936年には正式に「山田錦」と名付けられ兵庫県の栽培奨励品種となりました。
よく山田錦の母親は山田穂、父親は短稈渡船と表現されますが、植物に父母?と思ったことはないでしょうか?
父母は交配の仕方によって決まります。稲は自殖性植物のため雌雄同花で自家受粉します。そのため交配する際、雌しべに別の品種の花粉を受粉させる方法をとります。その際に雌しべを用いる品種を、母親品種や種子親と呼び、花粉を用いる品種を父親品種や花粉親と呼びます。ここから山田錦の母親は山田穂、父親は短稈渡船ということになるのです。
ではその父母の出自を見ていきましょう。
山田錦の母である「山田穂」は明治の初め頃から兵庫県内で栽培されていて、1912(明治45年)に農事試験場が原種に指定しました。大粒で心白のある在来種が広く県下に広まっていたため山田穂の由来は諸説ありますが、黒田庄のお隣、多可郡中町の篤農家山田勢三郎が自分の田圃の中から優良な株を見つけ出し選抜し自らの苗字をとって「山田穂」と名付けた「多可郡中町説」が関係資料が多く有力と考えられています。
父である「短稈渡船」の名前の由来である「渡船」は1895年頃に福岡県で栽培されていた雄町を滋賀県が取り寄せて渡船と命名したとの報告が残っており、渡船は雄町の純系淘汰説が濃厚とされています。その短稈渡船が兵庫県に導入されたのは1918年頃と言われています。
今年で生誕86年になる山田錦の誕生を足早に見てきましたが如何でしたでしょうか。因みに皆様よくご存じのコシヒカリは今年で生誕66年となります。比較すると山田錦の86年と言う歴史に重みを感じるかもしれません。逆に稲作や酒の歴史の長さからすると浅く感じるかもしれませんね。
参考文献 『山田錦物語』兵庫酒米研究グループ
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